2020年12月25日 第1号

雷鳴は
 砲撃に似たり
  夜(世)(よ)切り裂く

   母娘(ははこ)怯(おび)える
    ベイルートの夜

―ある日平和な日本で詠めり―

 自分の詠む歌に解説をつけるのはいささか無粋かもしれませんが,これは妻が亡くなった年のある春の日の朝に,思わず口にしたものです。
 前夜激しい雷鳴が轟きました。私は,妻が亡くなってから寝る場所を寝室のベッドから仏壇のある和室に移しておりました。雷鳴は余りに激しく,和室の天井のすぐ真上に今にも落雷があるかように激しく鳴り響きました。雷がピカッと光ったその瞬間,ドカン,ドカンと振動のような巨大な音が繰り返し襲ってくるのです。眠れぬまま何刻かたち,雷鳴は鳴りやみ,いつしか私も眠りにつきました。
 翌朝目覚めると,前夜の嵐が嘘のように,空はどこまでも青く澄み渡っていました。
 そして,私はいつものように出勤すべく家を出,田園調布の駅の改札口前の広場に辿り着くと,そこにベビーカーを止めていた若い2人の母親の会話が,聞くともなしに私の右耳に飛び込んできました。

「夕べは恐かったわねぇ!」

と,さも恐ろしげに夕べの雷鳴の激しさを語り合っていたのです。

 雷鳴はどんなに激しくとも,落雷でもない限り人の命を奪うことはありません。暗い闇を切り裂く雷鳴に眠れぬ夜を過ごすことはあっても,平和な日々が壊れることはありません。
 しかし,ベイルートにせよ,パレスチナ,シリア,イラク…etcいずこのアラブ・中東の国や都市にせよ,砲弾の嵐によって国(世)は切り裂かれ,無辜の市民の日常の生活は一瞬にして吹き飛び,かけがえのない家族の命を奪うのです。
 平和な日本をはじめ,豊かな先進諸国の人々がこの落差の大きさに想いを馳せることが出来るでしょうか。私はこの歌を亡き妻の追悼(メモリアル)DVDに収めました。

阪神淡路大震災とベイルート内戦

私は首相補佐であった1994年暮れ,田中秀征氏,そして妻と一緒にシリアを訪ねました。そのあと,先に帰国した田中氏と別れ,私は妻とともに久保田駐シリア大使,夏目駐レバノン大使のご案内で,翌1995年正月レバノンを訪ねました。
 そのとき,レバノンは20年に及ぶ内戦が終わったばかりで,かつて“中東のパリ”と呼ばれた美しいベイルートの街並は無惨にも一変し,街中戦火の跡だらけで,多くのビルが崩壊するか,凄まじい砲撃の跡で黒く焼け焦げていました。

 そのあと帰国した私を待ち受けていたのが1・17阪神淡路大震災だったのです。首相補佐仲間であった中川秀直氏(自民党),早川勝氏(社民党)とともに,私は関空から海上保安庁のフェリーに乗り換え,神戸に行きました。
 そこで眼にした壊滅した神戸の衝撃は,その直前にベイルートで見た光景そのものでした。
 これが,私が「戦争と大規模自然災害は同じもの」という認識に至った原点です。
 戦争も,大規模自然災害も,そこに住む普通の人々の生命を一瞬にして奪い,生活を根こそぎ破壊します。母は生き残り,父は死ぬ。自分が生き残り,妻が死ぬ。弟が死に,兄が生きる。伯父は死に,伯母は生き残る。その運命を分けるものには何の必然性もない。理不尽な偶然性だけなのです。
 そして,大切な住まいを失い,生活が破壊される。それだけではない。この大惨事により生き残った人々に大変な精神的傷跡を残す。

 私の出雲高校の後輩で古居みずえさんという人がいます。彼女は,イスラエルの戦車や砲撃の犠牲となった人々のドキュメンタリー映画を制作しています。イスラエル軍侵攻の犠牲となったパレスチナのある若い女性が,いかに深い心的打撃を負い,その後長い間精神的後遺症に苦しみ続けたかを克明に追い,描写をしている。
 その彼女は,近年「飯舘村の母ちゃんたち」という映画を制作し,震災にめげない“母ちゃんたち”の日々に密着した映画を発表しています。きっと同じ想いからに違いありません。
 パレスチナの子ども達は,毎年3.11になると,東日本大震災の被災者に対する連帯の意を込めて“凧あげ大会”を開きます。
 阪神淡路大震災を,そして東日本大震災を経験した私たちは,今なお戦火に日々苦しむ国や地域の人々の悲惨な現状に,思いを馳せることが出来るでしょうか。

ビン・ラディンの死と読売新聞の「編集手帳」

2011年5月2日,オバマ政権によってオサマ・ビン・ラディンが殺害されました。パキスタンのアボッタバードという街に潜んでいたという。この街は,私たちがイスラマバードから北部山岳地帯にあるMINEKO SCHOOLに車で行く途上にあります。「軍」の街で,比較的大きい。こんなところに“秘かに”隠れ住んでいたとは考えにくい。
この直後のGWのある日の読売新聞の「編集手帳」に興味深い記事が載っていました(ひょっとしたら夕刊の「よみうり寸評」だったかもしれません。)。概略こんな内容でした。

「ビン・ラディンが死んだ。
 しかし,私たちは,もう,かつてのようにこれを手放しでは喜ばない。
なぜなら,3.11を体験したからだ。」

 汲めども尽きぬ味わい深い記事ではありませんか。その意味するところは,読者の皆さんの想像力におまかせ致します。

おいしい枝豆の話

―コロナと“文明論”花盛りの中で―
 私は,かつて,“竹下王国”の真っ只中で日々厳しい選挙戦を闘っていました。コツコツと日常活動を積み重ね,“ローラー作戦”と称して,選挙区の全戸を一軒一軒訪ねて歩きました。
 そんな日々,叔母(私の母の妹)の家でねぎらいの夕食をごちそうになりました。叔母の家は「特定郵便局」を経営する傍ら,農業を営んでいます。そのときビールのつまみに出てきた枝豆が,これまで食べたどんな枝豆よりおいしかったのです。余りのおいしさに私がいたく感激しているのをみて,叔母がこう言いました。
「田んぼのあぜ道に少量だけ植えた枝豆には虫がつかない。大量に植え付けると虫がつく。」
 私は,今号の復刊(「淳Think」改題,「スサノオ通信」第1号)をきっかけに「錦織淳の“文明論”」を展開します。これは,平成4年,私が国政選挙出馬にあたって出版した「神々の終焉」における“文明論”の再展開です。
 そのささやかな“予告”が「おいしい枝豆の話」です。ご期待ください。コロナ禍の中で“文明論”が花盛りの中,私もその末端にて参加します。

今後の予告

 今後予定しているのは,
(1) 私の文明論
(2) コロナ(COVID19)問題
(3) アメリカ大統領選とトランプ
(4) 中国の台頭
(5) 台湾問題と香港問題
(6) 中東・アラブ問題
(7) 私の産業振興論
(8) IT社会
(9) 株主第一主義は何故行き詰まりつつあるのか
(10) 新自由主義について
(11) 日本の芸能界
(12) 能について
などです。
但し,このメルマガの発行はしばらく不定期です。上記の内容・順番も順不同です。ごめんなさい。

役に立つ錦織淳のビジネスアドバイス(シリーズ)

今回は分量の関係で割愛しましたが,次号より私の豊富な弁護士経験を生かしたビジネス・アドバイス(シリーズ)を連載します!!ありきたりのものではなく,私の“実践”に裏付けられた,この世に2つとないものに致します。

また,特集として,今日本の法曹界で議論の対象となっている「司法制度改革」は,「妻峰子の大粒の涙とともに実現した」という“歴史秘話”をお届けします(もうそろそろ本当のことを話してもよいかなと思うからです。)。

おすすめの記事