1 タリバンの復権とアフガニスタン現政権の崩壊
今朝の報道によれば,アフガニスタンの首都カーブルにある大統領府をタリバンが占拠し,ガニー大統領は国外(隣国タジキスタンか?)に逃れたということである。タリバンの主要都市制圧が報じられてから1週間も経っていない。誠にあっという間の出来事であった。
かくして,アメリカに支えられて2002年6月以来,カルザイ,ガニー大統領と二代にわたって続いた現政権はあっけなく崩壊した。いったい,なんということか! 2001年10月7日に開始されたアメリカのブッシュ(ジュニア)大統領によるアフガニスタンの侵攻とはいったい何であったのか。全ては“振りだし”に戻ってしまったというのか!いや,“振りだし”に戻るのではない。歴史が“振りだし”に戻ることなどありようはずもない。これからとめどもない混迷と混乱が私達を待ち受けている。それはおそらく制御不能のものになりかねない。なぜなら,もうアメリカも私たちも“同じ手”を二度と使えないからだ。
2 全ては予測できたこと
昨年末このスサノオ通信を「淳think改題」として発行するにあたり,「淳think」時代のメルマガ2号分を載せている。その一つが「淳think 2003年4月2日号外」である。
そこで,私は,“アフガニスタンの侵攻は成功だった”とするブッシュ大統領の認識に疑問を表明し,
「実は,真相はまるで正反対でないか」
という疑問と疑念を表明した。そして,
「米国と国連が撤収すれば,カルザイ政権は一瞬のうちに崩壊するのではないかと多くの人々が恐れている。」
と指摘した。
果たして,私の予感は,またしても,不幸にして的中してしまった。
3 歴史の歩むべき方向を見出せない政治家をリーダーに持つ国民の不幸
アフガン侵攻にせよ,イラク開戦にせよ,ブッシュ大統領は,これを“テロとの闘い”としてその正当性を激しく主張した。アメリカ国民もまたこれを熱狂的に支持した。日本の小泉政権もこれを無条件に支持した。多くの評論家や知識人がこれを支持した。マスコミもそうだった。多くの国民もまたこれを積極的に容認した。イギリスのブレア労働党政権も真っ先にこれを支持した。
アフガン戦争にせよ,イラク戦争にせよ,問題はそこに“大義”があるかないかという問題ではなかった。最も大切なことは,この二つの戦争を仕掛ければ,世界がどうなるかという極めて単純な予測の問題だった。“因果の予測”ということである。ブッシュ大統領やブレア首相や小泉首相の望むところとは,まるで正反対の結果がもたらされること――世界中にテロが拡散し,「理性と対話」への信仰は薄れ,「暴力と力による支配」への抵抗感が鈍麻していくことは必然であった。それは“火を見るよりも明らかなこと”であった。
“正義”や“大義”の美名にまぎれて,「こうすればこうなる」という正しい因果の予測を誤ってはならない。それにしても,世界の政治リーダー達の多数がどうしてこんな分かり切ったことを見通せなかったのか。
イギリスでは,2009年7月に設置された「チルコット委員会」がIraq Inquiryという膨大なイラク戦争の総括報告書を発表した。アフガン戦争とイラク戦争の正しい総括なくして,世界の安全保障の未来を語ることはできない。
4 パキスタンの地政学的重要性
9.11のころ,私の妻はちょうど学校建設(MINEKO SCHOOL)のためパキスタン北部山岳地帯に滞在していた。
直後のニュースで9.11テロとアフガニスタンのアルカイダ,タリバンとの関係が取り沙汰されたのを聞いて,これは“やばい”と思った私はすぐに妻と連絡を取ろうとしたが全く繋がらなかった。ようやくにして妻が帰国する頃は,パキスタン国内からは全ての外国人が消えていたという。
パキスタンとアフガニスタンは,たんに隣国であるからというのみでなく。タリバンとの“微妙な”関係も含めて,今般のタリバンの全土制圧がパキスタン情勢にどのような影響をもたらすか,多大な疑念がある。私たちのMINEKO SCHOOLの訪問にも何らかの影響を及ぼすかもしれない。
世界の安全保障を考えるうえで,パキスタンは地政学的にもとても重要である。そのことをもっともよく知っているのが中国である。中国は古くからカラコルムハイウェイを建設し,ウィグル自治区からカラコルム山脈を越えて,更にインド洋に面するグワダル港(イラン国境に近い)に達するまで,その支配下におさめようとている。グワダルからは南西アジアのみならず,中東やアフリカまでがその先に見通せる。日本はとかくインド外交の重要性という言葉は口にするが,パキスタン外交の大切さについて触れる政治家はほとんどいない。果たしてそれでよいのだろうか。