1 日本初之宮「須我神社」
島根県の奥出雲の入り口,大東町須賀に,日本で最初の御宮といわれる須我神社がある。
簸の川(ひのかわ)(現斐伊川)上流において八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は,櫛稲田比売命(くしなだひめのみこと,稲田姫)とともにこの地に至り,「吾が御心清々(すがすが)し」と言って,ここに二人で日本最初の宮を造ったと伝えられている。いってみればこの“新婚夫婦”の“新居”である。
この宮の辺りには,ときとして丘陵地帯特有の雲が立ち込める。須佐之男命はこれを見て,
「八雲立つ
出雲八重垣
妻籠みに
八重垣作る
その八重垣を」
と歌った。これが日本最初の和歌といわれる。「八雲立つ」は「出雲」の枕詞である。
ここには本社と奥宮の二宮(ふたみや)がある。
4年ほど前に私が写した写真5枚をご覧いただきたい。この内3枚が本社を写したものである。それほど大きな神社ではないが,とりわけ雲が立ち込めたときの姿は神々(こうごう)しい。うち1枚の写真に「神詠(えい)」と題して「八雲立つ」の和歌が刻まれた石碑が写っている。
あとの2枚が,奥宮の一部とその入り口(登山口)を写したものである。ここに写っているのが「須佐之男命御岩座夫婦岩」であり,脇の立て札に「奥宮御祭神」として「須佐之男命」「奇稲田比売命」の二人の祭神の名が見える。
2 須佐之男命と櫛稲田比売命
神々しい神話の世界からいきなり俗世間に降り立って恐縮であるが,スサノオ通信の前号本文記事とその添付ファイルの「諫早湾干拓堤防開門訴訟」の「上告受理申立理由書」で
「スサノオノミコトとヤマタノオロチ伝説と,斐伊川水系における水資源ビジネスパーク構想」にふれさせていただいた。
神話は世の東西を問わず,決して荒唐無稽な話ではない。地球物理学者の竹内均先生は,旧約聖書に出てくる「ノアの洪水」伝説(もともとは古代メソポタミアの粘土板にその源流の記載がある)には,地球物理学的な根拠があると仰っている。
「スサノオノミコトとヤマタノオロチ神話」も「国引き神話」も,古代出雲の歴史の源流を辿れば,きちんとした根拠があることがわかる。
私が生まれ育った実家のすぐ背後に海抜50~60メートルほどの丘がある。私は,小さい頃からこの丘に登って眼下に拡がる簸川平野(ひかわへいや)をいつまでも飽きずに眺めていた。
中国山地奥(奥出雲)に源流のある斐伊川が大量の砂を運び,浅瀬の海(日本海の一部)に堆積し,やがて“陸地化”したことが「国引き神話」の源であることは,この丘から眺めればすぐに分かることだった。
簸の川(斐伊川)は,八つの頭を持つ暴れ川(あばれかわ)となって,上流から下流に至るまで,しばしば氾濫した。大切な稲田がこの氾濫によって失われたり,大きな被害を受けた。私の生まれ育った実家もしばしば床下浸水を繰り返し,亡き母親にいわせると周囲より少し地盤の高い我が実家もときとして床上浸水の甚大な被害を蒙ったことがあるという。
須佐之男命は“治水の神”として,八岐大蛇を退治し,“稲作の神”である櫛稲田比売命を救った。それがヤマタノオロチ伝説の源である。
治水と食糧生産は,いつの世でも“政治の原点”である。
<お詫び>
前号(第7号)の見出しに誤りがありました。「巨大公共事業」が「巨大公益事業」と誤って表記されていました。お詫びして訂正いたします。