2021年12月14日 第6号 文明史的転換(その1)

1 今一度レヴィ=ストロース先生に捧げる一首を
――レヴィ=ストロースの文明論――

自分で詠んだ歌を再び解説する無粋をお許しいただきたい。
前号でお送りした一首

ウィルスを
  解(と)き放(はな)ちたる
    人の世(よ)を
花咲き乱れ
  常世(とこよ)の如(ごと)く

は,フランスの文化人類学者レヴィ=ストロース先生の弟子を僭称する私の思いを込めたものと紹介した。
 レヴィ=ストロースは,西洋文明の破壊的本質を鋭く見抜いた。かつて,地球上には「未開部落」といわれるものがたくさん存在した。そこは基本的にあらゆるものが完結しており,一種の“島宇宙”のようなものであった。そこでは経済も自立し,自己完結していた。海や山や野の幸を享受し,狩猟や採集で十分に食べていけた。わかり易く例えれば,子供が一人生まれるごとにヤシの木1本を植えれば,その生育サイクルを通じ,その家族や集落は一生不自由なく食べていくことができた。そこでは,人生は“8時間労働”などする必要はなかった。一日数時間の労働で経済は十分に回っていたのである。
 西洋文明は,そのような集落を,未開で,ときには野蛮で,非文明的であるとして,圧倒的な科学技術力を背景にして,“グローバル経済”のもとにこれを丸ごと呑み込んだ。この“未開の集落”は一瞬にしてグローバル経済による収奪の対象となり,未だに立ち直れない。
 しかし,見ようによっては“地上の楽園”とも思えるようなこの自己完結した社会を“未開”と呼んでよいのだろうか。――それがレヴィ=ストロースの指摘である。つまり,“進歩”とはいったい何なのかということである。
 ここで,レヴィ=ストロースは,一つの証左として,エイズウィルスについて述べている。エイズウイルス患者がアフリカで初めて見つかったのは1981年であった。そして,瞬く間に世界中に感染が拡がった。エイズウイルスは,今問題となっているほとんどのウィルスと同様に,「野生動物由来」のものであり,もともとチンパンジーを「自然宿主」とするものであった。もともと自然界に存在していたものと考えられる。しかし,レヴィ=ストロース風にいえば,いわばこの“閉じ込められていた”エイズウイルスは,“文明の発達・拡大”により地球上の全域に“ばらまかれ”拡散していったのである。
 “未開”の“文明”への“復讐”又は“逆襲”といってよいかもしれない。

2 ウィルス感染症と文明の“進化”

 ウィルスは人類の誕生以前から存在しており,動物由来のウィルスはヒトと動物の接触によってヒトに感染する。しかし,感染しても回復すれば免疫ができるから,ウィルスが生き延びるためには新たな媒体たるヒトが必要である。狩猟や採集に依存する“未開社会”では,集団の構成員の数が少ないから,ウィルス感染は拡大しない。人類は“文明の進化”とともに人口の集中・増大を繰返してきたから,ウィルス感染の拡大は,人口の集中・増大と不即不離の関係にある。私は,かつて(1992年)著した「神々の終焉」の中で,人口の集中と増大,即ち都市化が古代文明発祥の源泉であるとの説を紹介した。そして,人口の集中・増大と「生産様式」の変化もまた,不部不離の関係にあり,「生産様式」の変化は「科学技術」の発展によってもたらされるものと述べた。そして,これは今日のいわゆる「グローバリズム」といわれるものとも不部不離の関係にある。
 ウィルス感染症の代表的なものの一つに天然痘がある。天然痘はアフリカのげっ歯類(ビーバー,ハツカネズミ,リスなどの総称)が保存するウィルスがヒトに感染したものと考えられ,グローバリズムの波に乗って世界中に拡散した。5世紀ころには朝鮮半島を通じて日本にも天然痘が流行し,8世紀ころには数百万人の人が命を落としたといわれている。いわゆる“疫病”である。奈良の大仏の建立は,“疫病退散”の祈願であるといわれている。
 つまり,ウィルス感染症の拡大は,「人流」と不可分であり,天然痘にみられる感染症の地球規模での拡散・拡大は,「グローバリズム」と不可分の関係にある。今日「グローバリズム」とか「グローバル経済」といえば,現代の資本主義的生産様式と同義のものと考えられているが,グローバリズムはこのような特定の生産様式と結び付けて理解されるべきものではなく,科学技術の発達=生産力の増大がもたらす“人類の文明史を貫く本質的要素”である。

3 エマージングウィルスの登場

 ジェンナーの開発したワクチンにより,1975年の発症例を最後に天然痘に自然感染したヒトは皆無となり,1980年に世界保健機構(WHO)は根絶宣言を発した。人類は感染症を克服,コントロールできる時代に入った,これは医学の勝利であると理解された。日本でも,感染症に係る公衆衛生行政の第一線現場を担ってきた保健所は,いわゆる“行政改革の嵐”の中で“統合と合理化”を繰り返し,現在その数はピーク時の半数にまで激減した。
 しかし,“感染症の克服”は幻想に基くものであった。ウィルス感染症は再び人類を逆襲した。レヴィ=ストロースがいみじくも指摘したように,1981年にアフリカで初めてエイズ患者が見つかり,瞬く間に世界中に拡がった。そして,その後,エボラ出血熱,SARS,新型インフルエンザ,MERS,そして今日のCOVID‑19(新型コロナウィルス)と,次から次へと新たな感染症が発見され,その拡大が問題となった。
 これらは,「エマージング感染症」「新興感染症」などと呼ばれ,その多くは「動物性由来のウィルス」といわれ,動物を「自然宿主」とする。
 そして,今や,世界中の人々がこれに恐れおののいている。

4 冒頭の一首の意味

 以上で,冒頭の一首の意味をご理解いただけただろうか。
 COVID‑19(新型コロナウィルス)の感染拡大は,人類により“解き放たれた”ものであり,決して自然発生的なものではない。
 後段の「花咲き乱れ 常世(とこよ)の如(ごと)く」というのは,錦織のいわば“文明論的自然観”である。
 このような無粋な解説を行うことに再度お許しを請う。

5 今日の“文明論の花盛り”について

 新型コロナウィルスの世界的拡散とともに,世界中で,また日本中で,新たな“文明論”が盛んとなっている。例えば,『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著)は30万部を超えるベストセラーという。論壇を多くの“文明論”がにぎわしている。コロナ禍の中で,世界中の人々が人類の行く末に不安を感じ,漠然と,人類の歩む方向についてのより根源的な転換,即ち「文明史的転換」の必要性を感じているからではなかろうか。
 今日,ヨーロッパを中心に「SDGs」とか,「脱炭素社会」の到来とかが声高に産業界でも叫ばれるようになった。
 これは何を意味するのであろうか。また,より根源的には,果たしてそれでよいのであろうか。
 錦織が平成4年(1992年)に著した「神々の終焉」で論じた

「西洋的世界観(=ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・マルクス主義)の喪失の時代の到来」

という意味を新たに問いかけたいと思う。
 なお,このスサノオ通信の次号では,先ほどバイデン大統領が開催した「民主主義サミット」に代表される「民主主義と専制主義・権威主義との相克」について論じるかもしれない。

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