スサノオ通信番外編 :「錦織淳の役に役に立つビジネスコーナー」(第3回)「錦織淳が弁護士50年で獲得したノウハウを惜しみなく披露する」―Chat GPT時代に挑戦する契約書の作り方(その2)

4 契約書は必ず作らなければいけないか

  -多くの場合契約書がなくても契約は成立するし,契約上の責任を追及出来る―

 契約書を作らなければ法的に有効な取引は出来ないのであろうか。そんなことはない。但し,法律上契約の成立に一定の方式を要求するごく例外の場合を除けば―である。

 契約書を取り交わさないまま,何億,何十億ものお金が動く取引など世の中にそれこそごまんとある。そんな大げさな例を持ち出さなくても,いささか例えが古めかしいが,八百屋の店頭で「このリンゴひとつ下さい」と言ってお代を払って受け取れば,そこで立派に「動産の売買契約」(民法第555条)が「成立」し,かつ契約の「履行が完了」しているのである。たとえ契約書を取り交わさなくても「契約が成立」している例は実は沢山あるのである。いや,むしろ世の中では契約書のない取引の方が多いのではないだろうか。

 平成29年(2017年)の民法(債権法)改正では,この当たり前のことをわざわざ明文化した(改正前民法には第526条第2項の規定しかなかった。)。

「契約の成立には,法令に特別の定めがある場合を除き,書面の作成その他の方式を具備することを要しない」(民法第522条第2項)

 つまり,「契約が成立」したか否かの判断は,多くの場合,契約書があるかないかによるのではなく,“実体(実態)としての”契約が成立したかという法律上の判断の問題である。たまに「契約書を取り交わしていないから取引の相手方に何も言えないのではないか」と諦めようとする相談者に出会うことがあるが,その場合は,それまでの取引の経緯と内容をつぶさに聞き取り,丹念に拾い上げ,契約の成立を“立証”していくのである。それとともにどのような内容・性質の契約が“実体(実態)”として“存在”していたかを辛抱強く固めていく(立証していく)のである。

 このような観点から作業をしていくことは,実は

「契約書(らしきもの)はあるが,内容が不十分であまり役に立たない場合」

にも有効である。世の中に出回っている契約書は必ずしも立派なものばかりとは限らない。否!我々が目にする契約書はむしろ不完全なものがほとんどと言っても過言ではない。いざトラブル(紛争)が起きた場合に,契約書のどこを見ても手がかりすら見つからない場合がある。そのような場合もやはり上記のような作業を積み重ねていくことにより,“実体(実態)”としての契約(条項)がどのように“成立”していたかを探っていくのである。そして,それを基に「解決」の道を探っていくのである。

 また,たとえよく考え抜かれた立派な契約書であっても,契約当事者双方が“全く予測しなかった(予測しえなかった)”事態が発生した場合に,それに対してどのように対処していくべきか,契約書(の条項)の中に手がかりさえ見つからない場合がある。そのような場合もこのような手法が有用である。

 更に進んで,契約書の明文の条項を無視してまで,或いはそれに反してまで,“実体(実態)としての取引のルール”が優先するという極端な場合もある。このような場合は

「契約書の明文の条項がその後の取引の進展に伴って事実上或いは黙示のうちに“変更”された」

ということを,契約当事者のどちらか一方が主張・立証することになるのである。もっとも,この場合注意しなければならないのは,日本の裁判所は書面(契約書)による明文の条項を優先しがちだということである。英米法のケーススタディ(判例法主義)では,“主要な事実”がどうであったかが優先されるのに比し,この点日本法と英米法とでは微妙な差異があるように思われるからである(なお,この問題は「判例の読み方,解き方,使い方」のコーナーで,再度,別の角度から論ずる予定である。)。

 以上述べたことは「契約書の作り方」とはどのような関係になるのであろうか。錦織は「契約書など作らなくてもよい」「契約書の条項など場合によっては無視してよい」などという乱暴なことを言っているのではない。重要なことは次の2つである。

① 契約書はその取引の実情や実体(実態)に即したものでなければならないこと

② 契約書は一旦作ってしまえばそれでよいというものではなく,その後の取引の進展に応じ絶えず見直していかなければならないということ(別途の追加合意書・確認書を取り交わしたり,契約条項の一部を修正する文書を取り交わしたり,場合によっては契約書全体を作り変えるなど)

 これこそが「AIやChatGPTに負けない契約書作り」の出発点となる基本精神である。

5 法律上の契約書の作成が義務付けられている場合

 先に,契約書を作らなければならない例外の場合があると述べた。

 実は,これにも大別して次の2通りのタイプがある。

① 契約書を作成しなければそもそも契約の成立が認められない場合

② 「書面(契約書等)の作成」が「私法上の契約成立」の要件にはなっていない(即ち,なくても契約自体は成立する)が,これを怠ると刑事罰の規定の適用を受けたり,行政処分を受けたりする場合

 まず①の場合は,その法律が要求する所定の方式に従った契約書を作成しないとそもそも私法上の契約(或いは,場合によっては特定の契約条項)の成立が認められない(つまり,契約としての効力が発生しない)のである。たとえば,

  「任意後見契約」(任意後見契約に関する法律第3条)

は,

  「法務省令で定める様式の公正証書によってしなければならない」

とされている。

 また,借地借家法では,「存続期間を50年以上とする借地権設定契約においてこれを定期借地とする旨の特約」(同法第22条第1項,第2項)については,「公正証書による等書面によってしなければならない」とされ,これには「電磁的記録」による場合も含まれるとされる。

 また,同じく定期借地に関するものであっても,「事業用借地契約」の場合は「(この)契約は,公正証書によってしなければならない」との規定ぶりとなっている(同法第23条第3項)。

 定期借家についても類似の規定があるが,「公正証書による等書面(電磁的記録を含む)によって契約をするときに限り,契約の更新がないこととする旨を定めることができる」との規定ぶりとなっている(同法第38条第1項,第2項)。

 このように「公正証書による」と「公正証書等書面による」とでは重要な違いがあるが,いずれにしろ,これらの場合はその要件を満たさなければ契約がそもそも成立しない(普通借地借家契約としての効力が認められるかは別途検討する必要がある)。

 次に②については,実に多くの“業法”を中心に契約締結についての規制の方法が定められ,契約書の作成が義務付けられている。多くは消費者保護,(取引上の)弱者保護の立法目的で定められたものである。

 最も身近なところでは,労働基準法第15条第1項後段,労働基準法施行規則第5条第4項によって,「使用者は,労働契約の締結に際し,労働者に対して賃金,労働時間その他の労働条件を明示しなければならない」が,その労働条件の明示は「労働者に対する」「書面の交付」によるものとされている。これについては,違反した場合の刑事罰がある。

 消費者保護を目的とするものには,たとえば金融商品取引法第37条の4による金融商品取引業者の「書面の作成・交付義務」があり,この違反には罰則がある。

 (取引上の)弱者保護を目的とするものには,たとえば下請代金支払遅延等防止法第3条第1項による「親事業者」の「下請事業者」に対する取引条件を記載した「書面の交付」義務がある。これも罰則をもって強制されている。

 このように業法その他の法律により「書面の作成・交付」が義務付けられている例が多数ある。これらにおいて「契約書」ではなく「書面」とされているが,それは取引契約の一方当事者である“強者”に対しその作成や交付を義務付けているものであることからこのような表現となっているだけであり,タイトル(表題)は契約書ではなくても,「契約の成立・内容を証する書面」そのものである。

 いずれにしろ,これらは,様々な経緯を経てそれぞれの分野で“社会問題化”する都度新たに規制が設けられたり,整備されてきたものである。従って,今後,益々このような規制が増えていくであろう。

 このことについては,これ以上深入りしない。ただ,実際に契約書等を作成するときには,このような法律(多くの場合はいわゆる“業法”)による規制がないかどうかをチェックする必要がある。

6 何のために契約書を作るのか

 契約書を作る目的或いは契約書を作った方が良いという理由はいくつかある。多くの方は,いざというとき,即ち契約当事者間で紛争が起きたとき,極論すれば裁判(訴訟)になったときに備えて契約書を作っておいた方が良いと考えておられるようである。もちろん,それも契約書作成の重要な目的のひとつである。特に,日本の裁判所は,書面(による合意)をとても重く見るから,なおのことそうである。ときには契約書の条項の文言ひとつで訴訟の勝敗が決まったり,契約書の文言解釈で攻守ところを入れ替えたりすることもあるから,尚更である。

 即ち,いざ訴訟になったときに勝敗を決するのは,

  ① 法律の定め

  ② 契約書の定め

  ③ 事実認定(証拠に基く)

の3つであるから,“取引のルール”ないし“取引上で発生した紛争解決のルール”を定める契約書がいかに重要であるか,いうまでもない。

 しかし,契約書にはもっと大きな役割がある。それは,紛争の発生(極端な場合訴訟にまで発展すること)を事前に予防するということである。後で詳しく述べるが,“契約書とはいったい何であるか”ということを一言で表現すれば,それは「取引のルール」(紛争解決のルールを含む)を定めたものということである。契約書の本質がそのようなものであるとすれば,それは訴訟などのいわば“有事”の場合のみでなく,正常に取引が継続されているいわば“平時”においてこそ,その本領を発揮するものということが出来る。

 我々が社会生活の様々な分野でいろいろな行動を営む場合,種々の“ルール”に従っている。互いにそれに従うことがいわば当然の,或いは暗黙の前提となっている。その場合,その“ルール”がそもそもなかったり,あってもその内容が不明確だったり,解釈が人によってバラバラであったりすればどうなるであろうか。そこに大きな混乱が生まれ,衝突や紛争が生じたりする。ときとして,それが深刻な係争に発展することがある。

 それは,一般の“取引”の場合でも同じである。従って,この場合でも

① “取引のルール”がきちんと確立されていること

② その“取引のルール”の内容を互いに確認できること

③ “取引のルール”の内容が明確であり,解釈や適用をめぐって疑義が生じないこと

④ 特に,“当該取引において”生じやすい問題につきルールが具体的に定められていること

⑤ その取引をめぐって何らかの紛争が生じたとき,それをどのように解決するか手段・方法が定められていること

等々がさしあたり重要である。

 これが,即ち,「契約書を作らなければいけない(作っておいた方がよい)」理由であり,我々の作る契約書は上記の5つの要請をきちんと充たすものでなければならないということである。

 このことをしっかり頭に叩き込んでおいていただければ,“AIやChatGPTに負けない契約書”を作成することが出来る。

 以下,いよいよ“契約書作り”の具体的内容に移っていくこととする。

(以下,次号に続く)

次号予告

  7 どういう段階(局面)で契約書を作るのか

  8 契約書の表題(タイトル)はどうするか

  9 契約書作りは“形(型)”から入るな!

  10 契約書は“中味”から入れ!

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