スサノオ通信番外編 :「錦織淳の役に役に立つビジネスコーナー」(第7回)―「人権デュー・ディリジェンス」あるいは「人権とビジネス」の行き着くところ―

 

1 ある商社で最近起きた問題

(1)「人権デュー・ディリジェンス」あるいは「人権とビジネス」について

 このビジネスコーナーの前号(2023年11月9日第6回)で「人権デュー・ディリジェンス」ということを紹介した。ちなみに,デュー・ディリジェンス Due Diligence というのは直訳すれば「当然払うべき(適切な)注意」といったほどの意味で,これまで企業再生やM&A(企業買収)の場面でその対象となる事業や事業体の実体(実態) を調査する手法のことを主として意味していた。そこでは当然のことながら当該事業体の財務諸表などを精査・分析したり,とりまく市場環境を分析するなど,当該事業体の収益力などを,主として経済的観点から観ていくいくことになるわけである(財務デュー・ディリ,事業デュー・ディリなど)。もっとも,コンプライアンス全盛時代,リスク管理全盛時代の今日においては,契約管理がどうなっているか,注意すべき労務問題を抱えていないか等々,純粋に経済的とはいえない観点からの精査・分析をも求められるようになり,法務デュー・ディリ,労務デュー・ディリなど対象領域が次第に拡げられてきている。

 しかし,「人権デュー・ディリ」というのは,前号で示唆したように,これらとは全く異質なものといってよい。

 この「人権デュー・ディリ」という言葉を広く人々に知らしめることとなったのは,2021年3月21日,国際連合第17回人権理事会で決議された「ビジネスと人権に関する指導原則(Guiding Principles on Business and Human Rights)」というものである。その中で「人権を尊重する企業の責任(The Corporate responsibility to respect human rights)」がうたわれており,その「運用上の原則(Operational principles)」として「人権デュー・ディリジェンス(Human rights due diligence)」につきふれられている。

 ここでは,「人権への負の影響を特定し,防止し,軽減し,そしてどのように対処するか」ということのために「人権デュー・デリジェンス」を実行すべきであるとされる。問題の調査,発掘・発見,対処の決定・実行,検証に至るまでの全てのプロセスが求められているといってよい。

 つまり,まずは「人権とビジネス」という上位概念(規範)があり,あくまでその実現手段のひとつとして「人権デュー・ディリジェンス」という道具が用いられているというわけである。

 これは大変なことである。「人権とビジネス」という価値概念や規範を大上段にふりかざす以上,ことはビジネス=“儲け話”の延長ではすまないからである。

 なぜなら,前号の「ビジネスコーナー」で述べたように

「いったん人権デュー・ディリジェンスという概念や手法をとりいれれば,それは我々人類が直面するあらゆる分野の問題と向き合うこととなる」

からである。

 ごく最近,この問題の格好の素材ともいうべき事例が起きた。

(2) ある商社で最近起きた問題

 我が国有数の総合商社A社は,さる2月5日,2023年4~12月期の連結決算(国際会計基準)を発表した。朝日新聞の翌6日朝刊13版7面が伝えるところによると,オンラインで開いた同決算の記者会見で,

「A社の子会社がイスラエルの軍事産業大手「エルビット・システムズ」と昨年3月に結んでいた協力関係の「覚書」を2月中をめどに終了する」

と発表したという。

 この記事によると

「イスラエルとパレスチナの紛争に加担するものではないとしつつも,国際司法裁判所(ICJ)がイスラエルに対し,ジェノサイド(集団殺害)行為を防ぐ「全ての手段」を講じるよう命じたことなどを踏まえて決めた,としている。」

という。

 この記事で更に興味深いのは

「この覚書については,有志の学生らが,「ガザで空爆と地上侵攻を続けるイスラエル軍に武器を供給している企業」への協力は「人権侵害に加担することになる」として破棄を求めて署名を集めている。A社側にも申入れをしていた。」

と伝えている部分だ。

 朝日新聞のこの記事ではふれられていないが,マレーシアではA社が現地で展開するコンビニエンスストアに対する「不買運動」が起きていることもその背景にあると思われる。この現地コンビニエンスストアは,「暴力行為や殺害を支持していない。イスラエルに貢献や寄附をしたり,協力関係を結んだりもしていない」と強調したという(2024年2月7日,NNA  ASIAより)。

2 この問題の提起する本質的問題

(1) “経済制裁”との差異

 このA社の対応は,実に深刻な問題を提起している。

誰でも知っているように,いわゆる“国際社会”はロシアのウクライナ侵略に対しては厳しい経済制裁を課している。

 我が国有数の企業も全て,ロシアとの直接・間接の取引に関しては,この“制裁方針”に従うべく,実に神経質な対応をしている。

 ここでは,いわば“右へならえ”の対応をしておけばよいわけである。しかし,イスラエルのガザ侵略に対しては,“国際社会”は何らの“経済制裁”を課していない。それどころか,“国際社会”の頂点に立つリーダー国であるアメリカ合衆国USAは,イスラエルに対し巨額の軍事支援を未だに続けている。USAが“国際社会”のオピニオン・リーダーであり“国際行動標準”であるならば,A社がイスラエルの軍事関連会社と取引したところで,何の“おとがめ”も受けないはずだ。

 だが,今回のA社を突き動かしたものは,もちろん様々な要因があろう。しかし,国際司法裁判所(ICJ)の今般の決定が重大な要因のひとつであることは間違いなかろう。そして,これは“経済制裁”とは全く異質なものである。

 まさに

「ビジネスと人権」

の規範設定そのものであり,しかも特定の国・地域を名宛人として個別的に設定された規範である。

 ここでは,“右へならえ”ということではすまない。

(2) “分裂する国益”

 上記朝日新聞の記事には,このA社子会社のイスラエル軍事関連会社との取引は,

「防衛省の依頼に基づき,日本の安全保障に必要な自衛隊の整備品の輸入を目的とした提携で,その輸入品を第三国に輸出するものではないという」

と伝えられている。

 ご存知のように,この数年における国際安全保障環境の激変から,我が“平和憲法”の日本も民生部門の転用を含む軍事的装備に関する国際取引や連携が急速に進んでいる。日本経済新聞の最近の連載記事によると,まさに“バスに乗り遅れるな”といった状況である。このような国際的取引や連携は“国益”と理解されている。

 A社が「防衛省の依頼に基づき」というのも,そのような趣旨であろう。

 つまり,ここでは“国益の分裂”という問題に直面する。もっとも,このA社の判断に,外務省の判断が影響を与えたのか,またどの程度与えたのかは定かではない。

3 「人権とビジネス」の行き着くところ

―危機の時代の経営者(再)―

 ひとたび「人権とビジネス」という規範概念を受けいれたならば,絶え間なくこのような問題が「経営者」に突きつけられてくる。

 当職がスサノオ通信本体で力説してきたように,人類が「三つの文明的危機」に直面する以上,

「ビジネスと人権」ならぬ「ビジネスと文明」

の問題に経営者もまた真正面から向き合わなければならないということである。

 最近,ビジネス・ローの世界でも,「ビジネスと人権」が盛んに論じられ,わけても「サプライチェインにおけるデュー・ディリジェンス」に焦点を当てた論稿が多数発表されている。それはそれで,おおいに歓迎すべきことではあるが,錦織が何度も強調するように,ここでも“マニュアル至上主義”“マニュアル依存”に陥らないようくれぐれも注意することが肝要である。「ビジネスと人権」が衝突する場面は,そのようなマニュアルでは到底対処できないようなものがほとんどだからである。A社の事例は,その格好の先例にして,重要な教訓である。

 では,どうしたらよいか,その点はおいおい論じていく。

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