2024年4月26日 第18号 ――イスラエルのガザ侵攻は何故に人類の主流派が創り上げてきた“西洋文明”の“自滅の始まり”なのか――
The Hague, Netherlands - July 22 2019 : The exterior of the almost castle like Peace Palace in his gardens . In use by the International Court of Justice of the United Nations.

1 結果を大胆に予測することの意味

最近の国の内外の議論をみると,大きな時間軸,空間的座標軸を据えて,より本質的に物事を洞察しようとする試みが余りに脆弱なように思われる。

その結果,最近の議論には二つの特徴がみられる。

一つは,テクニカルな議論,マニュアル化された議論が多いことである。これを専門化された議論と呼ぶには余りに内実が乏しい。深みがない。寂しい限りである。

もう一つは,例えばある大きな決断や行動を評価しようとする場合,その決断・行動に正当性があるかないかということは口角泡を飛ばしてさんざん議論するが,ではその決断を実行に移した場合いかなる結果を招来することになるのか――因果の予測――については,誰もきちんと語ろうとしない。これにはとっても勇気がいる。ハズれたら自己の不明を恥じる他ないからである。

今やマスコミも政治家も,国策の一翼を担う官僚もそうである。そして,哀しいことに,世界の世論を形成・主導すべき言論界や知識人層においてすらそうである。これは知性の力の衰退である。

もちろん,物事によって違いはあるが,“因果の予測”を立てるにあたり,いつでも格別の知識を要求されるわけではない。曇りなき眼をもって少しばかり注意深く観察すれば,容易に予測出来ることも多い。ましてや,その分野に精通している人であれば当然予測を立てることは出来るはずである。

2 イラク開戦前夜とガザ侵攻前夜

ここでは“前夜”ということが重要である。つまり,「こうすれば,ああなる」という“因果の予測”が問題の核心である。

スサノオ通信2023年10月12日号外では

「イラク開戦前夜とガザ侵攻前夜」

ということを述べた。

私は,メルマガ「淳Think」の2003年3月18日号外の「緊急アピール」で,イラク開戦をすれば「世界中にテロが拡散する」「世界は大変な安全保障上の危機にさらされる」と述べた。その“予言”は余りにも見事に的中した。今でもイラク戦争の総括をめぐっては「イラクに大量破壊兵器があったかなかったか」という観点から議論する人が多い。それも大切なことだが,それは所詮「イラク開戦に正義があったか,なかった」かというレベルの議論に過ぎない。もっと核心的な問題は,「因果の予測」ということであり,ブッシュ(子)大統領やその決断を支持した世界中の人々に決定的に欠落していたのはそのことである。

ブッシュ(子)大統領のイラク開戦を支持した人々が,今となってはその不明を恥じるとすれば,大量破壊兵器があったかなかったかという“事実認定”のレベルでの判断の誤りではない。イラク開戦をすればテロが世界中に拡散し,手がつけられなくなるということを“予測”出来なかったことの不明を恥じるべきである。

このことを予測することは,決して難しいことではなかった。私と妻峰子が1988年暮れから1989年初頭にかけて“初めて!”アラブ諸国を訪ねてすぐにわかったのは,次の二つだった。

「イスラム原理主義は,アラブ・イスラム世界のあらゆる面でのたび重なる敗北(特に「軍事的」敗北)によって生み出されたもの」

「(パレスチナをめぐる)アラブ・中東世界の“統一と団結”は形骸化しつつある」

この前者に想いを致すならば,ブッシュ大統領のイラク開戦がいかなる結果を招来するか容易に予測出来たはずである。「煮えたぎる釜」(スコウクロフト―スサノオ通信第16号)の蓋を開けるなどという生易しいことで済むはずがないことがわかったはずである。

では,「ガザ侵攻前夜」とはどうであったろうか。

3 “西洋文明”崩壊の序曲

スサノオ通信2023年10月12日号外では敢えて次のように述べ,この問題の質がイラク開戦前夜とは決定的に異なると主張した。

「しかし,「ガザへの全面侵攻」のもたらすものは,“テロの世界中への拡散”などという生易しいものではすまないだろう。我々人類の“主流派”が創り上げてきた“西洋文明”の“自滅の始まり”となるだろう。」

これは,具体的に何を意味するかといえば,それは端的にいって

「我々人類の主流派が創り上げてきた「人権」や「自由と民主主義」或いは「法の支配」という“普遍的価値概念”がその正当性を問われ,やがてはその正当性を喪う」

ということである。

しばらく前,バイデン大統領は,国際社会における対立軸を「専制主義対民主主義」として表現しようとした。ここでは「民主主義」は“人類共通”の“普遍的”価値であると理解されてきた。多くの人々がそれを支持してきた。

しかし,ガザ侵攻によってその「人権」や「民主主義」「法の支配」の観念や価値の普遍性に疑義が唱えられることとなった。

それがいわゆる“二重基準double standard”の問題である。

そして,スサノオ通信第16号では,イスラエルのガザ侵攻は,当のイスラエルにとっての“自殺行為”であるとして次のように述べた。

「「ガザ侵攻」はイスラエルにとっても“大きなわざわい”をもたらす。それは“永く永く続くわざわい”だ。」

これは,たんにイスラエルが中東・アラブ世界のみならず広く国際社会で,しかもアメリカ合衆国国内でさえ支持を失い,孤立していくという表面的,皮相的なことを意味するのではない。イスラエルという国家そのものの成り立ちについて問い直されるという,より根源的な問題なのである。

そして,上記の二つ(「人権」「民主主義」「法の支配」という価値概念への疑義,イスラエルの国家としての成り立ちへの疑義)は根底において分かち難く結びついている。

4 “二重基準 double standard”とは何か

ガザ侵攻前夜のスサノオ通信2023年10月12日号外では,イラク開戦前夜とガザ侵攻前夜の重要な相違点のひとつについて次のように述べた。

「世界は今「ウクライナ戦争」を抱えているということである。いわゆる“西側先進諸国”がこの問題(「ガザ侵攻」とパレスチナ問題)に正しく対応できず,ウクライナ(ゼレンスキー大統領)が舵取りを誤れば,“ウクライナ戦争”の世界的意味合いは変質する。すでにその変質の兆候は現れ始めている。」

グローバルサウスの国々にとって,G7に代表される西側先進諸国のロシアによるウクライナ侵攻とイスラエルによるガザ侵攻への対応の差異は余りに露骨であり,到底容認し難いものだということである。それが“二重基準”の問題である。あまつさえ,当のウクライナのゼレンスキー大統領でさえ,

「米仏英は,イランのイスラエル攻撃のミサイルは自ら直接迎撃するのに,ロシアのウクライナ攻撃のミサイルに対しては武器支援のみで直接迎撃してくれないではないか」

「イスラエルはNATO加盟国ではないのにNATO諸国が防護した(ウクライナがNATO加盟国でないからといって直接防護しないのはおかしいという意味)」

と不満を述べている。問題の次元はまるで異なるが,“イスラエルへの特別扱い”に不平を述べているわけである。

このような“二重基準”への批判は,我々人類の主流派が創り上げてきた西洋文明の基本的価値概念である人権・人道や民主主義,或いは法の支配の普遍性への疑義であり,その正当性に根本的な疑いをさしはさむものである。

5 国際司法裁判所(ICJ)への二つの提訴は何を意味するか

(1)南アフリカ共和国のイスラエルに対する提訴

イスラエルのガザ侵攻に対し,2023年12月29日,南アフリカ共和国は,ジェノサイド防止条約に違反しているとして,国際司法裁判所(ICJ)に提訴した。また,これに伴いICJは本年1月26日,暫定措置命令を発した。

イスラエルにとって,これは驚天動地の出来事であり,耐え難い屈辱と映ったであろう。なぜなら,イスラエルは,スサノオ通信第17号で述べたように,ナチス・ドイツのホロコーストという大虐殺を受けたユダヤ民族救済のために西欧諸国により特別に建国された国だからである。

ユダヤ民族こそジェノサイドの歴史上最大の被害者でこそあれ,加害者呼ばわりされるなど何たる屈辱であろうか。――それがイスラエル国民の偽らざる心情であろう。

ここで看過してならないのは,ICJへの提訴を行ったのが,他ならぬ南アフリカ共和国だということである。南アフリカ共和国はマンデラ氏に象徴されるように黒人差別の屈辱的歴史を耐え抜いて今日の地位を築いた国である。ガザの人々の差別に対し最も敏感に反応したのは歴史の必然であった。

そして,実は南アフリカ共和国のこのICJへの提訴は,他ならぬグローバルサウスの国々を代表してなされたということである。G7をはじめとする西側先進諸国はこのような提訴をする気は毛頭ないし,また出来もしないであろう。

そこで,スサノオ通信の読者には,「グローバルサウスから見た西欧近・現代史」と題する第15号のアミタヴ・ゴーシュ氏のインタビュー記事の紹介を思い起こしていただきたい。同氏はここで紹介したインタビュー記事の中で

「バスコ・ダ・ガマのインド航路開拓に始まる西欧先進諸国の植民地支配の歴史は,現代であればジェノサイド(集団殺害罪)のそれである。」

という。

グローバルサウスから見れば,自らが植民地支配の被害者となったジェノサイドの歴史も,ユダヤ民族の受けたホロコーストも,ガザの人々の今日の受難も,その残虐性,非人道性において同質である。

しかし,ナチスによるユダヤ民族に対するホロコーストは西欧文明の真っ只中で起きたものであり,加害者も被害者とともに基本的には西欧文明の内側にいた。これは加害者たる西欧にとっての“原罪”であり,どのようにしてもぬぐうことの出来ないおぞましい歴史である。だからガザでどのようなことが起きようとも,これをジェノサイドとしてICJに提訴することなど絶対に出来ない。

我々は,なぜ南アフリカ共和国がイスラエルをジェノサイドとしてICJに提訴したのか,その文明史的意味をかみしめ、深く掘り下げなければならない。

その問いに真摯に答えなければ,西欧文明が高く掲げる人権や民主主義,法の支配という普遍的価値はその本質的正当性を問われることになる。

(2)中米の国ニカラグアのドイツに対する提訴

これはごく最近の3月1日にICJより発表されたことである。

ドイツがイスラエルに軍事的支援を行っていること,国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への資金拠出の一時停止が,ジェノサイドへの加担だとするものである。

これまたグローバルサウスの国による告発であるという点は,南アフリカ共和国の提訴と同質の歴史的意味をもっていることはいうまでもない。

しかし,ここで最も衝撃的なことは,この提訴の対象がイスラエルに巨額の軍事支援を行っているアメリカ合衆国でもなく,一度かなりこれに顕著に追随したイギリスでもなく,また他のヨーロッパ先進諸国でもなく,他ならぬドイツだということである。

今更いうまでもなく,ドイツは,ナチス・ドイツの時代にユダヤ民族を大虐殺した張本人の国家であり,「原罪」の罪人国家そのものである。

そのドイツにとって,ユダヤ民族に対し,イスラエルという国家を全面的に支援することは,“原罪”を背負った国家としての贖罪そのものに他ならない。その意味でイスラエル国家への全面支援はドイツの“国是”である。

その支援をもって「ジェノサイドへの加担」などと非難されるのは,これまた驚天動地のことであり,ドイツにとっては到底受け入れ難いことであろう。

しかし,グローバルサウスの国々にとっては,ドイツや西側先進諸国にあるそのような共通な前提は決して所与のものではない。

(3)二つの提訴の意味

―ガザ侵攻は何故にイスラエルに“災(わざわい)”をもたらすのか―

このICJに対する二つの提訴は,西側先進諸国が当然の前提としたものが当然の前提ではないことを意味する。

ドイツやドイツ国民にとって未来永劫背負っていかなければならない原罪としてのホロコーストの罪の意識は,ガザの人々にも等しく向けられなければならない。それがグローバルサウスの国々の立場であり,おそらくはアミタヴ・ゴーシュ氏が言わんとするところであろう。

換言すると,絶対的加害者ドイツと絶対的被害者イスラエル(ないしユダヤ)という“絶対的関係”は,この二つのICJへの提訴によって世界の文明史的意味合いにおいて「相対化」された。それだけではない。両者は「共犯者」と断罪された。

それが,イスラエルのガザ侵攻がイスラエルにとっても“大きな災(わざわい)をもたらす”と前記スサノオ通信号外であらかじめ示したことの原理的意味である。だからこそ西側先進諸国はこぞってこれを止めなければならなかったのだ。日本は唯々諾々とG7に追随している場合ではなかったのだ。日本政府にはもっと危機感と使命感を持ってもらわなければならない。

(4)今後はどうなるか

急速にか,或いはゆっくりとか,今は私には予測できないが,ガザの悲劇が深刻になればなるほど,世界の潮流は必ずや「イスラエルの国家としての成り立ちそのものへの根源的問い直し」へと進んでいくだろう。イスラエルにとってこれほど大きな災(わざわい)はないだろう。だからこそ,今直ちにガザへの侵攻をやめなければならない。だからこそ,これ以上のパレスチナ(ヨルダン河西岸)への入植を直ちにやめなければならない(スサノオ通信第17号参照)。それを決断することが出来るのは他ならぬイスラエル国民のみである。

そして,G7の国々(日本も含む)が「イスラエルの真の友人」であることを自負するならば,全力を挙げてイスラエル国民のその決断を促すべきであろう。それが真の友情と連帯というものであろう。

6 これからの世界

いずれにしろ,こうして,我々人類の主流派を構成する西側先進諸国(もちろん日本も含む)の存在自体が,今後どんどんと“相対化”されていく。これをもたらしたものは西側先進諸国(日本も含む)の知性の劣化である。その行く末が世界のどんな混迷であるか――考えるだに恐ろしい。

その意味では,「ガザ侵攻は人類の主流派文明の自滅の始まり」という予測だけははずれてほしい。

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