2024年5月9日 号外 島根1区は燃えていたか !?

 

1 島根1区補選における自民の完敗

さる4月28日投開票の衆議院議員補欠選挙で自民党が3選挙区全てで敗れたが,わけても自民党の公認候補(奇しくも私と同性)と立憲民主党の公認候補の直接・全面対決となった島根1区で自民党候補が敗れたことは,当の自民党に対してはもちろん,日本の政界全体に大きな衝撃を与えた。

このことについてすでに様々な論評が発表されている。これからも沢山発表されることであろう。

しかし,この島根1区の選挙ないし選挙結果が本当は何を意味しているか――そのことの核心を衝いた論評は見当たらない。おそらく,これからも,正直申し上げて,期待薄である。多くは,ピントはずれとはいわないまでも,余りに“通り一遍”である。最近の流行りの言葉でいう“深掘り”はおろか,本質的洞察・分析に至っては皆無である。

かつて,三度にわたって島根を選挙区とし,その内二度にわたって故竹下登氏との“血みどろ”の一騎打ちを演じ,あと一歩のところまで追い詰めながら,“竹下王国”の文字通り総力を投入した死にもの狂いの大逆襲に遭(あ)い,敢え無く“討ち死に”した私としては,このような寒々しい状況は座視に耐えない。

今でも様々な形で島根に縁のある者として,地元からの声を紹介しながら,このことについて述べてみたい。

2 島根1区は燃えていたか !?

今回の島根1区の選挙の本質をもっとも端的に言い表わしてくれたのは,地元島根のマスコミの大御所の次のような言葉である。これは投票日のちょうど1週間前のコメントである。

「錦織さん,島根1区の有権者の意識は,端的に言って“3択”ということですよ!」

いうまでもなく,この“1択目”は,

「投票に行かない!」

ということである。そして,

「それでもなお,投票に行くという人が,自民候補か立憲候補か,のいずれかを選ぶ」

という意味である。

さすがに地元マスコミの大御所だけあって,これほど端的に今回の島根1区の選挙の特質を言い当てている言葉はない。

その後投開票後を含む1週間余にわたって地元の声を拾い上げてみた結果は,この余りに的確なコメントを裏付けるものばかりであった。

自民党支持者の内のかなりの数が,投票所に足を運ばず,或いは立憲民主党の候補に票を入れた。

自民党の伝統的な集票マシーンはほとんど機能しなかった。

党派・無党派を問わず選挙区全体に“自民党を懲らしめてやれ”という雰囲気が蔓延していた。

このような人々は投票に行かないか,或いは立憲民主党の候補に票を入れた。

島根1区の今回の投票率は過去最低であった。3補選の投票率を比較してみよう。

選挙区前回(2021年)衆院選今回(補選)衆院選
島根1区61.23%54.62%6.61%
東京15区58.73%40.70%18.03%
長崎3区60.93%35.45%25.48%

これを見ると,島根1区が最も投票率の落ち込みが小さく,他の2選挙区に比べると選挙への関心が高かったようにも見える。しかし,内実は全く異なる。東京15区にせよ,長崎3区にせよ,自民は候補を立てなかった。自民候補に投票するという選択肢を与えられなかった自民支持者は行き場を失い,投票所に行かなかった。投票率が激減するのは当然であった。

しかし,島根1区は,自民はきちんと候補を立て,しかもあろうことか相手は対極にあるともいえる立憲民主の公認候補だった。

岸田総理は二度も選挙区入りした。小渕優子選挙対策委員長や隣県鳥取選出の石破茂氏は島根1区にベッタリとはりついた。

立憲民主党も,泉健太代表をはじめ多数の有力議員を投入する総力選を展開した。

このように,今回の3補選において島根1区は今後の日本の政治の方向を占う両党激突の“天王山”であった,全国民注目の一騎打ちであったことはおおかたの人が認めているところである。その意味では,投票率が上がることこそあれ,過去最低を記録することなど考えられないことであった。ましてや島根の有権者の投票行動の歴史をよく知る私にとっては,尚更のことである。

つまり,端的に言って,全国注目の激突選挙区であるにもかかわらず,

島根1区は燃えていなかった。いや,むしろ白けていた

というのが実相である。

立憲民主党への投票行動も,積極的支持ばかりではなく,“自民党を懲らしめてやれ”という意識にかなりの部分支えられていたということが出来る。大多数の有権者の眼から見て,決して燃えるような熱い視線が送られたというわけではない。

3 島根1区の選挙(結果)から何を読み取るか

――絶望の島根―先の見えない過疎化・高齢化・少子化・人口減少の行き着くところ――

島根1区のみならず,島根の人々の多くは,今日の日本の政治に失望または絶望している。

その失望・絶望の最大の原因は,日本の国政政治家が一体何をしようとしているか,何をしてくれるか――全くわからないということである。

これは,多くの論者やマスコミが声を大にしていう,統一教会問題や政治資金問題による“政治不信”ということではおよそ説明のつかない根の深い問題である。様々なタイプのスキャンダルを原因とする“政治不信”とは全く次元の異なる極めて本質を衝く問題である。

島根のみならず,日本全国の地方の人々は,皆,過疎化・少子化・高齢化・人口減少に象徴される“地域社会の解体・消滅”におびえている。そして,そのような現象がどんどん進行し,長期化していくなかで,かなりの人々に諦めにも似た気持ちが拡がりつつある。

そして,その失望・諦めは,絶望と紙一重であり,絶望の一歩手前である。なぜなら,このような地方における過疎化・高齢化・人口減少は,今に始まったことではないからである。スサノオ通信第14号で指摘したように,島根県西部(石見地方という)のある有力都市(益田市)は,昭和20年代後半では,高齢化率なんと10%以下であった。その後数十年にわたり一貫して,島根県全体に過疎化・高齢化・少子化・人口減少がどんどん進行し,留まるところを知らなかった。高度成長で日本経済が急速に発展する反面,この現象はまるでその裏腹のように進行していった。

しかし,この両者が裏腹であったうちはまだよい。東京一極集中で稼いだカネや富を,地方に公共事業や補助金としてバラまけば,まだ地方の人々を“黙らせる”ことが出来た。だが,“失われた30年の日本”はそのような関係の継続を次第に困難にしていた。それとともに,今や,過疎化はともかく,このような高齢化・少子化・人口減少が“日本全体のもの”となってしまった。

つまり,

昨日の島根(地方)は今日の日本

だった。

岸田総理のいう「異次元の少子化対策」は“焼け石に水”である。このような問題の本質に全く手を付けないからである。所詮小手先の対応に過ぎないからである。このこともスサノオ通信第15号で述べた。

島根の人々,全国の地方の人々は,おそらく本能的にそのことを見抜いている。だからこそ,地域や地方の現状と将来に悲観し,諦めムードがただよっているのである。

今回の島根1区の補選で,自民・立憲の2公認候補は,このことにつき何を述べたのであろうか。私の知る限り,大変失礼な物言いではあるが,手あかにまみれた古臭い政策提言か,或いは通り一遍の過疎化・高齢化・少子化対策であり,岸田総理の「異次元の少子化対策」と大同小異である。

これで島根1区の有権者が心を打たれるであろうか。その政策の実現に期待し,夢を持ち,未来を託すという気持ちになれるであろうか。過疎化・高齢化・少子化・地域の解体に少しでも,歯どめをかけられると期待するのであろうか。残念ながらそうはならない。それが

「島根1区は燃えていなかった」

ということの本質である。

4 こんな政治に誰がした!?

つまり,過疎化はともかく,高齢化・少子化・人口減少がひとり“地方”の問題にとどまらず,“日本共通”の問題であることが誰の眼にも明らかになった以上,とどのつまり,ことは「日本の政治のありよう」が問われていることを意味する。

政治の最も本質的で,中核的な役割は,

「人々が,ひとしく安全のうちに,ひとしく食べていくことが出来る」

ということである(スサノオ通信第9号)。

後者は,産業政策の問題であり,水俣病患者の方々の身体を犠牲にした人類の未来への警告を受けとめ,21世紀,22世紀に向かって新たな産業政策を創り出すことであった。地方こそその格好の舞台であったはずである。

前者は,ウクライナ戦争,ガザ侵攻にみられるような世界の新たな安全保障の危機に,従来のUSAやG7一辺倒,USAへの過度の依存を改め,日本が過去と決別し世界の新たなリーダーとして飛躍することであった。

しかし,今やそのようなことを日本の政治に望むべくもない。我が師でもあった秦野章元法務大臣・元警視総監(スサノオ通信第3号)がかつて

「政治家に倫理を求めるのは八百屋で魚を求めるがごとし」

と発言し物議をかもしたことがある。

これになぞらえていえば

「日本の政治に新たな産業政策や新しい安全保障政策を求めるは八百屋で魚を求めるが如きもの」

ということになろうか。

これは,日本全体が選挙制度改革(小選挙区制の導入)という“政治改革”にうつつを抜かしたみじめな結果である(スサノオ通信第9号,第10号,第11号,第12号「制度への物神崇拝を捨てよ―「小選挙区制度」から「民主主義と専制主義の“対立”,そしてグローバルサウスとは何か」まで―)。

このことにつき,比較的最近,ある学者がとても気の利いた表現をしているのを目にした(どの新聞の,いつの記事であったかは忘れた!)。それは

「日本の政界に(黒澤明監督の)“7人の侍”よ出でよ!」

という比喩であった。

全く同感である。企業でも,政治の世界でも,どこでも,“人(ヒト)”が重要である。“人(ヒト)”が全てであるといってよい。わけても今日の如き“動乱”の時代は特にそうである。

もちろん,この“7人の侍”を,黒澤映画のいうように,“民・百姓が雇う”のではない。有権者が見つけ,探し出し,そして,育て,大きくしていくのである。

5 再び「過疎化」問題について

本号を脱稿した直後に,偶然か,はたまた必然か――二つの経済雑誌(週刊)を手にしたら,奇しくもともに「人口減少」「過疎化」問題の特集号だった。ひとつは「週刊・東洋経済5月11日号」であり,もうひとつは「週刊エコノミスト5月14・21日合併号」である。

この問題についての私の立場や考えはこのスサノオ通信でこれまで何度も明らかにした。私が1992年から1993年にかけて国政に打って出ようとした最大の目的は

「地方再生から日本再生へ」

ということであった。そのことは国政選挙出馬にあたって著書「神々の終焉」(南雲堂)で明らかにした。

島根全県区という選挙区を選んだのは,もちろんそこが自分自身のふるさとだということもあったが,すでにその頃(1990年前半)ふるさと島根の過疎化・高齢化・少子化・人口減少による「地域の解体」が激しく進行していることを知っていたからである。そして,他方で,「水俣病自主交涉川本裁判」にかかわり水俣病問題を知ることになり,21世紀型の新たな産業は「地球の有限性」を前提とした“新たな産業”であり,それは地方を舞台にして,そこから始めるしかないと考えたからである。

1993年衆議院議員選挙に当選してから,この問題につき最大の試練であり,かつ最大のチャンスともいうべき「中海本庄工区干陸(干拓)問題」に直面した。私がそこで主張し,実現しようとしたのは,巨額の公費を投入した農地造成目的の干拓事業により地域の貴重な資源を未来に向かって潰してしまうのではなく,この資源の膨大な価値(もちろん経済的価値をも含む!)に着目して新たな「水資源ビジネスパーク構想」を提唱し,これを実現することであった。それが「21世紀型の新たな産業政策のモデル」になると考えたのである。

岩波新書「公共事業は止まるか」96頁以下の拙稿にその概要を載せている。

ここで私が何をいいたいのかといえば,地方における過疎化・高齢化・少子化・人口減少の問題はなにも今になって始まったことではなく,すでに数十年も前からとっくに存在していたということである。それにもかかわらず,東京一極集中や高度成長の繁栄に酔いしれて,かかる深刻な事態が日本の足許を蝕んでいることに気付かないか,或いは気付いても無視し続けてきたということである。

これは「アリさんとコオロギさん」のたとえ話に出てくる「コオロギさん」とそっくりである(私は,かつて選挙区島根で何度このたとえ話をしたことか!)。

“夏の繁栄”に酔いしれて,やがて“冬の厳しさ”がやってくることに気付かず,何の対策もとらなかったということである。それをサボタージュしたのは日本の政治であり,日本の行政であり,ときとしてそれを手離しで容認した日本の司法である。産業界はこれに歯どめをかけるどころか,「夏のコオロギさん」の中心に立っていた。日本の知識人や言論人の圧倒的多数もそのことについて全く警告さえ発しなかった。

その全ての“総決算”の結果として,今日の日本の過疎化・高齢化・少子化・人口減少がある。「失われた30年」に問題を局限するのは全くの誤りである。

最近手にした二つの経済誌登載の記事の評価は,読者の皆様にお任せしたい。

ただ「週刊・東洋経済」が「過疎ビジネス」なるものの存在を取りあげていたのは,とても興味深かった。「え!こんなところ(企業)が地方創生ビジネスをやっているのか!」と最近いくつも気付かされていたからである。

さて,これからどうなるか。

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